うたた寝ねね

趣味とか技術とか憂鬱とか。

チラシの裏

僕は新聞を取っていないので、そもそも最近のチラシを知らない。
なので片面印刷で裏に書き込めるようなチラシが、いまだに存在してるのかを知らない。
それとも両面刷りの裏に、書き込むスペースを探すのだろうか。
それ以前に両面刷りに裏表の区別はあるのかも疑問なところだ。
チラシの裏に書いてろ、という言葉はいつまで通じるのだろう。

書き込むチラシがない僕は、言葉を飲み込んで、たまに吐き出す。
その場所は一貫していなくて、大学の友人に愚痴るときもあれば、
ツイッターに140文字ギリギリまで書き込んで疎まれることもあれば、
うまく言葉にできないままガムのように噛み続け、紙に包んで捨てることもある。

表裏の二面性というのはアナログレコードやカセットテープのA面B面だったり、
リアルとネットだったり、建て前と本音だったり、アウトドアとインドアだったり、
あるいは朝だったり夜だったり、人生に対する余生の割合だったりするのかもしれない。

表面を指でなぞっていけば、いつか裏側に辿り着けるような、
紙を半分だけねじって両端を止めたような、
残念ながらそんな単純な世界ではないことは、ぼんやり生きていても分かる。

誰かの肌をいくら柔らかくなぞり続けていても、それだけでは裏側に触れたりできない。
きっと誰しも心の内側は葉書のように個人情報保護シールで守られていて、
それを剥がすための術を知らないし、無理矢理剥がそうとすれば読めなくなる。

それはさながら地上にいながらにして、月の反対側を覗き込もうとするような感覚。
ひどく主観的な概念であるところの表裏は、3次元の世界に生きている以上離れられないし、
4次元の世界から見下ろせば、ある時点での表の僕と、
それ以外の時点で膝を抱えてうずくまる裏の僕が見えるのかもしれない。

シャワーを浴びながらこんなことを考えていた。
裏面に書き込めるようなチラシは持っていない。
洗い落としたシャンプーと一緒に、排水溝から流れてしまえ、鬱。